四季と礼法

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七夕の節供

7月7日、あるいは旧暦を用いて8月に行われる七夕は、いくつかの起源説があります。

この日には、疫病を避けるために、索餅(小麦と米の粉を練り紐状にしたものを縄のように綯った菓子)を主上に献じていました。その理由は、高辛氏(中国の五帝の一人)の子が7月7日に亡くなり、悪鬼となってしまったことから、その子が好んでいた索餅を供えると、病を避けることができると考えたからです。ちなみに、この頃に素麺を贈ったり、食べたりするのは、この索餅に由来します。

また、織姫彦星の「織姫」は、「棚機女(たなばたつめ)」として、もとから日本にも存在していました。機屋に籠もり、機のそばで神の来臨を待つ乙女を棚機女と呼び、翌朝、神がお帰りになるさい、村人は禊を行って神にその汚れを持ち帰っていただく、と考えました。この信仰が、織姫彦星伝説と結びついて、七夕の行事が作りあげられました。

さて、現代においてもこの日に笹竹を川や海へ流す地方があったり、この日に雨が降るほうが良いとする地方があります(雨が降ると織姫彦星が会えなくなると考えられるのは、中国からの影響によるものです)。こうしたことからも、七夕が祓いの日であることがわかります。

七夕には、笹竹に願いごとを書いた短冊を飾るが、それにさいして、前夜に硯を洗って乾かし、当日の朝にイモの葉についた朝露を集めてすった墨で文字を書くと、字が上達するといわれています。この七夕の笹を飾る行事が一般化したのは、江戸時代末期であり、宮中や幕府の七夕行事の影響が大きいといえましょう。

小笠原流の伝書には、

「七月七日には瓜のわきに干鮎を二つ腹をあわせて水引にて結び熨斗を添えて飾るなり」

と記されています。

笹竹に願いを込めて書いた短冊を飾るなど、節供の行事を楽しみながら生活に取り入れてみてはいかがでしょうか。

小笠原敬承斎